先般、HPのコラムに手の話(平成16年2月)を書いたところ、続きを是非・・・というリクエストが寄せられました。皆様、関心が高いのですね。
件のエステティシャン曰く、「手」の動きや温かさ、触れ方に、言葉や外見以上のものが現れる。指の動きひとつとっても繊細さ、ダイナミックさ、柔らかさ、しなやかさなど、身体の先端である指先までにどれだけ心が行き届いているかといつも観察しているとのことです。
また、優れたダンサーの「手」の表現力に驚いたり、大好きな人の手のぬくもりがとても優しく心地よかったり、幼い頃両親が手当てしてくれた優しい手の温度がふと懐かしかったり・・・など、こだわりや愛情を表現するにはとっておきの手段であり、無限な魅力を感じるものだとも言います。
その彼女は、私の爪を見て、「存在感のあるお爪ですねぇ」と褒めてくれました。爪に存在感だなんて、私のボキャブラリーには、なかっただけに嬉しいやら驚いたやら、是非ここでご紹介させて下さいね、と更にお願いをしたのでした。
私も、全く同感です、いえ、存在感のある爪ではなく、「手」から感じることにです。
マナーとしてよく言われることに、物の受け渡しは両手で、重いものは半紙を持つかのように軽そうに・・・というのがあります。これは、相手に対しての思いやりや丁寧さを「手」で表現しているのですね。
美しい手指の動きをする人を見ると、うっとりしてしまいます。箸の上げ下げから話している時のジェスチャーまで。単純な私は、「きちんと親御さんに躾けられたのだなぁ」と感動してしまいます。本人にとっては、無意識の、既に人となりとなっていることなのでしょう。私は、そんな何気ないことにこそ、エレガントさを感じてしまいます。
実は、これは、エレガントなだけでなく、スマートでもあるのです。
こういった丁寧な動きが、物を落とさずに済んだり、相手に不快な想いを与えてそのフォローをせずに済んだりと、かえって無駄を省いているのですね。
ひとつひとつの所作に、その人の物や人に対する向き合い方だけでなく、人生で大事にしているものまでが滲み出てくるとしたら・・・・・。
忙しい毎日ですが、何かのご縁で出会った人や物たちを大事に丁寧に扱うよう指先にも心を宿すこと(かのエステティシャンのお言葉です)を忘れずにいたいものです。