つい先日のこと。
娘が「わがままだと思うけれど、お母さんに聴いて欲しいことがある」と言ってきたので、じっくりと話を聴くと、部活動をやめたいとのことでした。
どうやら、お友達から言われてしまったようです。
「朝練に来ないんだから、やめろ!」と。
「自分が悪いんだからしょうがないけれど・・・」としくしく泣く娘。
でも、聴けば、これが初めてではなく、幾度か言われていたとのこと。
一人が言っているのだから、他のお友達や先輩達も快く思っていないかも知れないと、怖くなり、足が遠のいてしまっていることも話してくれました。
まだ体力が十分でないのか、朝早く起きて、さっさと支度をして出かけることが出来ず、朝練を休んでばかりの娘。また、時には、喘息の発作が出て、吸入してからの登校となり、朝練どころか始業時刻に間に合わないこともあります。
こんなに休んでばかりいては、ご迷惑をおかけしてしまいますから、20時に休ませたり、朝食に工夫をしたりと、あの手この手を打つのですが、今ひとつ・・・。
やりたくないのかしら?とも思い、話しあったこともありましたが、本人、やる気はあり、「明日起こしてねぇ~」と張り切って休めば、夜中から喘息・・・なんていうこともありました。
学校で顧問の先生にお会いする度に、「本当に申し訳ございません!」と、お詫び申し上げる母。
そんなわたくしに、1年生の時から見て下さっている先生は、「体が一番ですから。本人が続けたいのであれば、無理させず、ゆっくりペースにしてあげて下さい。そもそも音楽は得意なお子さんですから、嫌いになってやめてしまう方がよくないと思います。」と、温かいお言葉をかけて下さいます。
全くその通りで、去年は5回も入院し、今年のお正月も入院中に外泊許可を頂いた程。でも、今年は、何とか入院だけは免れて、12月を迎えることになるので、母子共々大喜び。
とは言え、そのことを知らない仲間達が、疑問に思ったり、怒ったりすることがあるのは、至極当然。
早起きが辛いと思うのは、誰もが経験すること、それでも頑張って出席している仲間達がいること、あなたの事情をみんなが知っている訳ではないことなどを話しました。
そして、その友達が本当にやめろと思っているかどうかは分からないことも伝えました。
「あなたが、お友達の立場だったら、どんな風に思うかなぁ?!」と投げかけて。
「ずるいなぁ~。いいなぁ~。」って思うこともあるよね、もしかしたら来て欲しいって言えないのかも知れないよ・・・と。
夕飯の為、テーブルについても、しくしくしている娘に「お兄ちゃんだったらどうするか、訊いてみようか?」と了解を取り、息子に話すと
「やめればいいじゃん!」とあっさり・・・。
息子の言い分は
やりたきゃやればいい。言われるのは自分が悪いんだからしょうがない。健康の問題で休んでいるんなら、誰かに何か言われても気にしない。言いたい奴には言わせておけばいい。
と、いうものでした。
「俺も3年生の時、サッカー部朝練だったよ。7時10分・・・。俺いつも行ったぜ。」と少し自慢することも忘れませんでしたが。
「どうしたいか、よく考えてみましょうね。あなたは、続けたいの?」と尋ねると「うん」と頷く娘。
そうでしょう、そうでしょう。新しい曲の譜面が配られると、すぐに持ち帰ってわたくしに譜読みさせ、ピアノで弾いて聴かせる位ですから。
乾燥するこの季節、娘の朝の身仕度に新たな工程が加わり、ますます時間がかかる時期に入りましたが、「朝練に出る」と決めて動いてみよう!という結論に達しました。
その晩、寝しなに・・・・・
「いい経験をしていると思う」と娘に話してやりました。
弱い立場に立ったことのある人は、自分が逆の立場に置かれた時に、相手を思いやることが出来ます。相手を裁くのではなく、相手の立場に立って考える想像力を養う上でも、必要な経験をしているのでしょう。
そして、それは、娘の体験を通して、息子やわたくしも学んでいるのです。
息子に話した時、「あなたが逆の立場だったら、どうする?」とお友達の立場に置き換えて考えさせてみました。
中学・高校と不登校の仲間達とも遭遇している彼は、求められれば、それは親身に応えるものの、面識のない相手に対してまでこちらから余計な口を出すことはしないというスタンスのようです。
今回、娘には、お友達に事情を説明したら良かったと思うということも伝えました。
分かりあう為の努力をしないで、分かって欲しいと思うのは、傲慢な話ですから。
そもそも、弱きを助け強きをくじく気質を持ち、争うより調和・平和を求める我が家の子ども達。
「待ってるから来いよ!」と言えたら、素敵だなぁ~と思います。
人を責め、裁いたところで、得るものは何もありません。
ただ、エゴが満足するのみ・・・です。
それより、「何か事情があるのかな?」と温かく包み込む思いやりを持って、人を見ていきたいものだと、改めて思います。
上品、気品、品格・・・どの言葉でも構いませんが・・・高い品性が備わった人でありたいと、日々切磋琢磨のわたくしにとって、この体験は、正に必然と思われるものだったのでした。